会津の峠002 ~山王峠~
ちょっと時間が空きましたが会津の峠第2弾。
栃木県と福島県の県境にある峠であり旧版の聖書には山王トンネルができる以前の道について記されている。
現在では道も広くなりトンネルもでき楽に通行ができる峠であるが、
地図を見ると現道の西側に見られる九十九折れ。
これが旧道の山王峠であり今でも県境に貴重な白看板が取り残されているという・・・
以前に福島側より入って県境までは行ったけれど通過はできなった。
今回はリンク先の管理人あずさ2号さんと訪問する機会を得たのでご紹介。
去年のネタとしてブログでもあげていたが改めてのレポになります。
福島側に大きな崩落で道路がふさがれている地点があるのは以前の探索で経験済み。
という訳で栃木側から入ることにしました。
栃木側の旧道入り口はゲート封鎖。ずいぶん前からこの道は通っているので旧道の存在は知っていました。
昔はただの単管バリケードだったのにいつの間にか立派になりやがって(涙
まあ、なぜか旧道の上にいるわけなんですけどね。
落ち葉の敷き詰められた旧道は徐々に高度上げていきます。
ほぼアスファルトの路面ですが数箇所道路の半分くらいが崩落しているところがありますが、
なんてことはありません。ちゃんと前見て走れば問題ないレベル。
まもなく県境か?というところで不自然な道形を発見。
葉っぱが落ちているので路盤の確認が容易に撮れます。
なんか一段上がった路盤があるのですよ。
旧版聖書にはこの道の旧道の存在が記されていましたがこの路盤かといわれれば疑問が残ります。
もう少しじっくりいろいろ見て置けばよかったのかな?
なにしろ頭は福島側崩落でいっぱいでしたからねぇ。
そして県境。
味のある県境でしょう?裏になっていますが右側にある看板は福島県なっています。
そして反対側にも白看板があります。しかし、旧版聖書には現役時代の写真が載っており
さらにいくつもの看板がありました。なんだかバス停らしきものまで・・・
もしバス停だったとして・・・・どこに行くのだろうか・・・。
ここからは福島県へ向かって高度を下げていきます。
福島側は日陰のせいなのか木々がうっそうと茂っています。
栃木側とはまったく違う雰囲気を出しています。
順調に下っていきますが・・・出た!
崩落地点。
上からの土砂により道が完全に飲み込まれています。
幸い路盤が崩落して無くなっている訳ではありません。道が無いのと道が埋まってる。
果たしてどちらがいいのかはわかりませんが、ここに限っては道が無くなっていなくてよかった。
人と比べると高さがわかるでしょうけどなんとか高巻きできそうです。
まずは様子見のため徒歩で崩落を登ってみます。
何本か邪魔になりそうな枝を処理し崩落地点を観察してがっくり。
M字になっていました。つまり崩落の中ほどにまた谷がありました。水が流れるようですね。
数年でここまで様相が変わるとは思いませんでした。
慎重にトライすることで二人とも無事通過できました。
あとは何事もなく福島側に抜けることができます。
ちなみに福島側はチェーンゲート。現道には親切にも旧道分岐の看板があります。
ところでこの山王峠古くは江戸時代関東と奥州を分ける峠であり馬程度までは通行できるようになっていたそうです。
そして明治に入りご存知三島通庸によって整備され馬車が通れるくらいまで整備されました。
会津三方道路の終点ともなった峠なのです。
その後自動車が通れるようになり、大型自動車を通すために拡張され交通量が増えたことに対応し
現道が整備されて現在に至るわけです。
残念ながら旧々道についてはあとから知ったので痕跡を見つけることはできませんでした。
昭和50年代には山王茶屋という建物もあったようですがいかんせんそのような背景を知らず
ただ旧道を通過しようという探索だけだったのが残念です。
栃木県と福島県の県境にある峠であり旧版の聖書には山王トンネルができる以前の道について記されている。
現在では道も広くなりトンネルもでき楽に通行ができる峠であるが、
地図を見ると現道の西側に見られる九十九折れ。
これが旧道の山王峠であり今でも県境に貴重な白看板が取り残されているという・・・
以前に福島側より入って県境までは行ったけれど通過はできなった。
今回はリンク先の管理人あずさ2号さんと訪問する機会を得たのでご紹介。
去年のネタとしてブログでもあげていたが改めてのレポになります。
福島側に大きな崩落で道路がふさがれている地点があるのは以前の探索で経験済み。
という訳で栃木側から入ることにしました。
栃木側の旧道入り口はゲート封鎖。ずいぶん前からこの道は通っているので旧道の存在は知っていました。
昔はただの単管バリケードだったのにいつの間にか立派になりやがって(涙
まあ、なぜか旧道の上にいるわけなんですけどね。
落ち葉の敷き詰められた旧道は徐々に高度上げていきます。
ほぼアスファルトの路面ですが数箇所道路の半分くらいが崩落しているところがありますが、
なんてことはありません。ちゃんと前見て走れば問題ないレベル。
まもなく県境か?というところで不自然な道形を発見。
葉っぱが落ちているので路盤の確認が容易に撮れます。
なんか一段上がった路盤があるのですよ。
旧版聖書にはこの道の旧道の存在が記されていましたがこの路盤かといわれれば疑問が残ります。
もう少しじっくりいろいろ見て置けばよかったのかな?
なにしろ頭は福島側崩落でいっぱいでしたからねぇ。
そして県境。
味のある県境でしょう?裏になっていますが右側にある看板は福島県なっています。
そして反対側にも白看板があります。しかし、旧版聖書には現役時代の写真が載っており
さらにいくつもの看板がありました。なんだかバス停らしきものまで・・・
もしバス停だったとして・・・・どこに行くのだろうか・・・。
ここからは福島県へ向かって高度を下げていきます。
福島側は日陰のせいなのか木々がうっそうと茂っています。
栃木側とはまったく違う雰囲気を出しています。
順調に下っていきますが・・・出た!
崩落地点。
上からの土砂により道が完全に飲み込まれています。
幸い路盤が崩落して無くなっている訳ではありません。道が無いのと道が埋まってる。
果たしてどちらがいいのかはわかりませんが、ここに限っては道が無くなっていなくてよかった。
人と比べると高さがわかるでしょうけどなんとか高巻きできそうです。
まずは様子見のため徒歩で崩落を登ってみます。
何本か邪魔になりそうな枝を処理し崩落地点を観察してがっくり。
M字になっていました。つまり崩落の中ほどにまた谷がありました。水が流れるようですね。
数年でここまで様相が変わるとは思いませんでした。
慎重にトライすることで二人とも無事通過できました。
あとは何事もなく福島側に抜けることができます。
ちなみに福島側はチェーンゲート。現道には親切にも旧道分岐の看板があります。
ところでこの山王峠古くは江戸時代関東と奥州を分ける峠であり馬程度までは通行できるようになっていたそうです。
そして明治に入りご存知三島通庸によって整備され馬車が通れるくらいまで整備されました。
会津三方道路の終点ともなった峠なのです。
その後自動車が通れるようになり、大型自動車を通すために拡張され交通量が増えたことに対応し
現道が整備されて現在に至るわけです。
残念ながら旧々道についてはあとから知ったので痕跡を見つけることはできませんでした。
昭和50年代には山王茶屋という建物もあったようですがいかんせんそのような背景を知らず
ただ旧道を通過しようという探索だけだったのが残念です。
ラベル: 会津の峠