2010年7月31日土曜日

会津の峠006 ~冬坂峠~

冬坂峠と言って通じる人はどのくらいいるのだろう・・・

かく言う私も知らなかったし、ましてや峠という認識は無かった。

冬坂峠・・・

いや、俺の生まれた頃からの認識はせあぶり山だから!!

会津の人間なら誰しもが知っている山。
背炙山。会津盆地の東に位置し現在は県道374号東山温泉線として会津盆地と猪苗代を
つないでいます。

背炙山の由来は猪苗代の湊集落の人が会津若松に向かう際、朝日に背中を照らされて山を越え
帰りは夕日に背中を照らされるというところから背中炙り山。いつしか省略され背炙山と名を
変えていったといわれます。
また、急峻な地形もあり這うように坂を上り下りしたことから這坂峠とも言われていました。

さて、この冬坂峠とはどのような理由から名づけられたのでしょう?
聖書「会津の峠」によるとかつて会津藩だった頃に加藤嘉明が炙るという字は火につながり
火は火事につながるので縁起が悪いということで改名した事によるとあります。
冬坂峠あるいは這坂峠がこの峠の正式名称となっていました。

白河街道沿いの各集落からそれぞれ背炙り山へ至る道があるのにたいし山頂から若松へ至る道は
比較的少なく東山へ抜けたり滝沢に抜けることができたそうです。


現在でも何本か遊歩道があり、これらはかつての道だったかもしれませんね。


高校の学校行事で湊集落の中から背あぶり山へ登ったことがあるのですがこれも
おそらく昔から若松へ向うのに使われていた道だったのでしょう。
初版の会津の峠(昭和50年発行)には今の県道がまだ未舗装でかろうじて車が
通れるなんて書いてあるくらいですからその当時は現役で使われていた可能性もあります。


さて、この背炙山。山頂付近はなだらかで展望もよく猪苗代湖、磐梯山、会津盆地が綺麗に見えます。
あまりにもなだらかなので峠と呼ばれていた場所が見当つきません。
昔登った道を考えるとかつてのスキー場があった辺りなのかな?一番景色のいい辺り。

今回はわかりやすい表記があったところを峠として紹介します。


関白平の関白はご存知豊臣秀吉。伊達政宗から会津領を没収しこの地より盆地を眺めたそうです。

こうやって調べてみるとものすごい歴史ある道だったんだなぁ・・・

余談ですが現在の県道は、まず東山から索道を作るための工事用道路から始まりました。
背あぶり山にかつてロープウェイがあったのです。
私も小さい頃に乗ったことがあります。写真を探したのですが残念ながら見つかりませんでした。
もしかしたら祖母の家にあるかもしれません。
さらに山頂から猪苗代側へ自衛隊の力を借り自動車道として整備されたのことです。

現在では車の便がよくなりロープウェイは廃止。撤去されてしまいました。
スキー場も廃止され会津の観光スポットであった背炙り山は賑わいはありませんが
今でも自転車やハイキング。ドライブで訪れる人が絶えません。

ラベル:

熊五郎 さんの投稿 @ 13:16  

4 件のコメント:

  • 2010年7月31日 22:51 に投稿, Anonymous MR さんは書きました...

    冬坂峠>

    うん、MRの認識も「背炙山」
    かつて行商の方が会津に来る時に背を焼いて荷を運び、帰りは夕日に背を・・・みたいな名前ですよね。

    索道は土台の部分が残ってたんじゃ?
    何か一時よっきさんの板で話題になりましたよね?

     
  • 2010年8月1日 21:40 に投稿, Blogger 熊五郎 さんは書きました...

    ですよね。
    峠というよりむしろ山。

    索道はhttp://www.age.ne.jp/x/dec/
    の方が詳しいですね。

    よっきさんの所では私も多少情報提供しておりました。

     
  • 2010年9月21日 20:39 に投稿, Anonymous  さんは書きました...

    お疲れさんです

    レモン牛乳関連商品ですが、北関東道の壬生PAにて多種に渡り売っていますよ。

    笑いました。
    流石、地元!

     
  • 2010年9月26日 1:09 に投稿, Blogger 熊五郎 さんは書きました...

    >燦さん
    たれこみありがとうございます。
    しかも壬生とは!

    普通なら素通りしてしまう所。
    おそるべし!
    機会見つけてよってみますね。

     

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