2010年7月12日月曜日

会津の峠005 ~滝沢峠~

会津若松市の飯盛山から強清水を結ぶ道は滝沢峠と呼ばれ
現在では舗装化されて国道294号線へのショートカットとしてよく利用される
現道と白河街道となっていた旧道がある。

今回は強清水側からのご紹介。
注意点として、旧道の滝沢峠は車両通行禁止となっています。
現在は遊歩道として下草が刈ってあったりと綺麗に整備されています。
なかなか歩き応えある距離になっていますよ。

予定では小阪集落跡から穴切へ抜け沓掛峠を経て滝沢峠へ抜ける予定でした。

このように看板まで整備されていますが・・・
道のほうは腰までの藪。
このまま進めるかわからなかったので引き返してしまいます。

穴切からアプローチすることにします。
国道からは穴切の一里塚という看板があり、それを目印に進みますが・・・
案内はそれっきり。
丁字路になったところで一里塚はどっちかさっぱりわかりません。
見落としたか?
わからないので滝沢方面へ進むことにしました。
やはりこちらも藪が濃くなっていて道筋は見えるけど路面状況がさっぱり
わからない怖い状況。もし水路が隠れていたらなんて思うとザワザワしますね。

藪の中にも立派な看板。間違ってはいないってことですね。

藪が切れればこんな状況。

道筋がはっきりします。
が、この先は急激に高度を下げます。
道幅もいきなり登山道レベルのシングルトラック。

そして降りた先は滝沢峠。

強清水方面を眺めています。

この道は背あぶり山を越えないルートとして開かれた峠です。
滝沢峠は金堀を中間に西側を滝沢坂と前坂。東側を沓掛峠と呼ばれています。
沓掛峠の頂上で道がわかれ南へ向かえば白河街道、北東へは猪苗代へ向かう二本松裏街道
になるようです。
明治の中ごろに滝沢峠の南側に馬車の通れる道が開かれました。
これが南新道になります。
その後北側にも道が開かれ、こちらは北新道と呼ばれることになります。
そして北新道は自動車が通るようになり国道49号線として舗装されました。
現在では県道となり現在でも使用されています。

こんな立派な碑も建っています。

さて、白河街道のほうへ戻りましょう。
このような立派な道で金堀集落へと下っていきます。


一旦現道に出て金堀集落から再び旧道へ、こちら側が滝沢坂になります。

NTTのアンテナ脇から舗装が切れ滝沢本陣へ下っていきます。


こんな感じで、


現在も一部に石畳が残っています。

開削当時は路面がドロドロで酷かったらしくこのように改修されて行ったとのことです。

滝沢本陣側はこのようになっています。
電柱が景観を損ねているような・・・吹屋山までずっとあるんですよねぇ。


そして会津側の滝沢峠入り口はこのような看板。

こんな歴史ある道が自宅からすぐそこにあります。


ここは強清水側の入り口の写真を補完したいので後で追記予定。


~追記~
こちらが強清水側の入り口になります。
国道49号線から強清水側と反対に枝道があります。入ってすぐ脇にはいつの間にやら堆肥を
作る工場がありました。
この付近はそれらの発酵集がします(汗

しっかりとした看板が立てられておりますが・・・
藪の中。
そしてここをおくに進んでいくとこのように。

そして沓掛峠と至るわけです。

ラベル:

熊五郎 さんの投稿 @ 16:38  

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