日中-大峠線と大峠-根小屋線
8月と先日の探索での結果をまとめてみました。
まずはログを国土地理院の地図に落とします。
8月の探索で日中小桧沢線にある倒木地点(通称:ヘヴンズゲート)が左上の矢印です。
ご覧のとおり点線ルートから外れていますよね。
ここから100mも行かないですぐ沢に阻まれました。
位置情報を得たおかげで次回の探索のめどがつきました。
でもこの点線のところ歩いて入ったんだけれど・・・
登山道レベルでこれは違うだろ・・・・って引き返したんだよなぁ。
10月の探索では大峠側からアプローチしてみました。
大峠本道から電力管理用の小屋に分岐する地点があります。ここから点線道で日中にいたるルートがあり
以前よりどこまでいけるかを探索していました。
実際は坂を上りきったところで広場のような地点で行き止まり。
道が消えたと思い春の探索でそれらしきものを見つけたのですがどうみても動力付きは入れない・・・
そこで今回はGPSをもって探索となったわけです。
その行き止まり地点が地図真ん中の矢印地点。
・・・・そりゃぁ道が無いわな。
というわけでこちらも宿題ができました。
本道への分岐地点のアテはありますので次回行ってみましょう。
大峠にはもう一本本道からの分岐があります。
こちらは前回のDTM企画で走った際にMRさんが写真に収めた保安林の地図より確認したものです。
地図閲覧サービスで確認したところ、おもいっきり点線道がありました。不覚・・・orz
というわけでこの分岐の入り口も心当たりがあったのでトツゲキです。
南向きの日当たりのよい斜面のため結構草の密度が濃いのですが道幅はダブルトラック。
かろうじて道をトレースすることができました。
が、唐突に強制終了を食らいました。
道なりに進んだはずなのに道が消えました・・・。
ごらんの有様です。もしかすると過去に崩落があったのかもしれません。
林の切れ間が見えるのでもう少し先に行くとまた状況が変わるかも。
今回は他にもいくところがあったので引き返しました。
こちらの課題は根小屋側からのアプローチですね。
という訳でまだまだ奥が深い大峠周りの探索報告でした。
まずはログを国土地理院の地図に落とします。
8月の探索で日中小桧沢線にある倒木地点(通称:ヘヴンズゲート)が左上の矢印です。
ご覧のとおり点線ルートから外れていますよね。
ここから100mも行かないですぐ沢に阻まれました。
位置情報を得たおかげで次回の探索のめどがつきました。
でもこの点線のところ歩いて入ったんだけれど・・・
登山道レベルでこれは違うだろ・・・・って引き返したんだよなぁ。
10月の探索では大峠側からアプローチしてみました。
大峠本道から電力管理用の小屋に分岐する地点があります。ここから点線道で日中にいたるルートがあり
以前よりどこまでいけるかを探索していました。
実際は坂を上りきったところで広場のような地点で行き止まり。
道が消えたと思い春の探索でそれらしきものを見つけたのですがどうみても動力付きは入れない・・・
そこで今回はGPSをもって探索となったわけです。
その行き止まり地点が地図真ん中の矢印地点。
・・・・そりゃぁ道が無いわな。
というわけでこちらも宿題ができました。
本道への分岐地点のアテはありますので次回行ってみましょう。
大峠にはもう一本本道からの分岐があります。
こちらは前回のDTM企画で走った際にMRさんが写真に収めた保安林の地図より確認したものです。
地図閲覧サービスで確認したところ、おもいっきり点線道がありました。不覚・・・orz
というわけでこの分岐の入り口も心当たりがあったのでトツゲキです。
南向きの日当たりのよい斜面のため結構草の密度が濃いのですが道幅はダブルトラック。
かろうじて道をトレースすることができました。
が、唐突に強制終了を食らいました。
道なりに進んだはずなのに道が消えました・・・。
ごらんの有様です。もしかすると過去に崩落があったのかもしれません。
林の切れ間が見えるのでもう少し先に行くとまた状況が変わるかも。
今回は他にもいくところがあったので引き返しました。
こちらの課題は根小屋側からのアプローチですね。
という訳でまだまだ奥が深い大峠周りの探索報告でした。
ラベル: バイク
2 件のコメント:
2009年10月11日 22:31 に投稿, Macx-R さんは書きました...
MRス。
コレは興味深いですね。
しかし点線としての道も・・・やはり使われないと埋もれてゆくという典型例なのかもしれませんね。
さて、会津の峠(上)にはこのルートが実は旧大峠ルート「小桧沢峠」であり、三島閣下が会津三方ルートを画策した際に候補となった古道であります。
実際に走れる区間を見れば一目瞭然子供の村。
実に穏やかに標高を上げ、峻険な所は旧R121の半分以下でしょう。
無論、距離は長いので閣下はこの辺に難色を示したのでしょう。(爆
寛永年間(~1643)に間道は閉鎖されますが、昭和初期まで鉱山関係者の連絡路であった事は想像に難くなく、大峠の裏道として根小屋の小峠ルートとともに使われていたようです。
因に「小桧沢峠」は牛、馬を通す良道で、小峠は荷車を通す道だったそうです。
大峠喜多方ルートはその強烈な線形から崩落が絶えず、通行不能の際はこの二つの「裏ルート」で大峠を越えたらしいです。
と書くと、やる気がでてきたでしょう?
ああ、長々と失礼しました。
2009年10月12日 9:24 に投稿, 熊五郎 さんは書きました...
>MRさん
詳しい背景ありがとうございます。
深く知るためにはやはり資料を集めないとわからないことばかりになりますね。
まだまだ楽しめる場所のたくさんある大峠です。春の山菜シーズンに徒歩でアタックするのもありだな。
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